来週は京都で2回、別々の場所で報告をさせてもらうことになりました。


3月19日(月)14:00〜
京都大学人文科学研究所「虚構と擬制」研究会
http://kyodo.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~fiction/fictionHP/Fiction_home.html


以下は報告の概要。

「鏡、分割、規範――ピエール・ルジャンドルにおけるフィクション」(仮)


教会法を専門とする法制史家であり、なおかつ精神分析家としての顔も
併せ持つピエール・ルジャンドルは、主体の生成において社会が果たす
役割という観点から、社会あるいは制度というものを捉えなおそうとし
てきた思想家である。「フィクション」とは、ルジャンドルがこのよう
な社会の主体的機能を考察するにあたって、欠かすことのできないキー
ワードである。


本報告ではまず、ルジャンドルが自ら「ドグマ人類学」と呼び習わす研
究の思想史的意義を簡単に振り返った上で、フロイトラカンに立ち返
りながら、「鏡像段階」の説明でラカンがすでに用いていた「フィク
ション」という用語を援用したルジャンドルが、いかにしてそれを規範
性についての理論へと発展させていったのかを見ていく。


その一方で、ルジャンドルの用いる「フィクション」という語は、「シ
ンボル」「メタファー」「神話」「儀礼」「モニュメント」などの様々
なタームで言い換えられるような、定義のはっきりしない用語でもあ
る。本報告では、彼自身が著作で用いる例や、報告者の関心領域(アイ
デンティティと身体の関係)にまつわる例を紹介することで、ルジャン
ドルの「フィクション」に、より明確な輪郭を与えることも試みたい。
具体的には、中世最大の「偽書」とされる『コンスタンティヌスの寄進
状』、あるいは近代に入っての「戸籍」と「名」の問題、などの例を考
察する予定である。

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3月25日(日)13:00〜
写真研究会 於:同志社大学



以下は報告の概要。

「〈モンタージュ写真〉とアイデンティティのイメージ」


あらゆる身分証に欠かせないものとなっている写真は、身元を確認する
手段として、現在でもなお基本的かつ有効なものであり続けている。
しかし警察捜査の現場においては、写真の導入はその当初から失敗の
歴史の連続であった。19世紀の警察は、カメラの前でしかめ面をして
抵抗する犯罪者たちに手を焼き、また仮に撮影に成功したとしても、
顔の特徴は髭や髪型の違いで一変してしまうため、せっかく撮影した
写真が何の役にも立たないこともしばしばだった。


アルフォンス・ベルティヨンの考案した、身体測定法や「口述ポート
レート」は、主としてこうした写真の欠陥を補うために開発された技術
である。それらの技術はアイデンティティを「全体像」ではなく、耳や
鼻などの「部分」へと還元するものであった。同時にそこでは一般人に
よる証言が価値を失い、専門的な知識を身につけた捜査官だけが、それ
らの技術を駆使して身元確認を行うことが許されるようになる(「科学
捜査法」の誕生)。


モンタージュ写真」は、フランス・リヨンの警察官ピエール・シャボが、
1950年代半ばに開発した技術に遡るとされる技術である。フランス語
で「ロボット・ポートレート(portrait-robot)」と称されるこの技術は、
最新鋭の捜査法として迎え入れられ、当初は画期的な成果が喧伝されもした。
しかし実際にはこの技術は、「全体像」を構成して一般人の証言を請うもの
であるという点で、科学捜査法の歴史を逆行する、言わばアナクロな技術
であった。


このモンタージュ写真は現在、欠陥を指摘する声に圧されて、活躍の場を
徐々に失っているようである。ここでの目的はしかし、その欠陥を確認し
てこの技術を葬ることでも、逆にその再評価を試みることでもない。本発
表はまず、モンタージュ写真の歴史を概観しながら、フランシス・ゴルトン
の「合成肖像」などの関連する技術を手がかりに、そのイメージとしての
価値を再考する。最終的にはそこから、人間のアイデンティティとイメー
ジとの根本的な関係を捉えなおす手がかりを得ることを目指したい。