模倣の法則

模倣の法則

偶然入った書店にガブリエル・タルドの『模倣の法則』の翻訳が平積みされていて驚愕する。6000円もしたが、出会ってしまったのが事故だと思ってあきらめてレジに向かう。


出版元が河出だし、そもそもフランスにおけるタルド再評価の動きもドゥルージアンたちに負うものだからしょうがないのかもしれないが、ドゥルーズの先駆者として売り出そうという戦略には違和感を覚える。しかしともかくそのおかげでこうしてタルドの1895年(初版は1890年)の主著の翻訳が、2007年の日本で出てしまうのだから、ありがたいことである。訳者の方々には敬意を表したい。


僕にとってのタルドは何より犯罪学者としてのタルドであり、Archive d'anthropologie criminelle(犯罪人類学叢書)の重要な執筆者、ベルティヨンやアレクサンドル・ラカサーニュの同時代人としてのタルドである。


タルドの再評価というのも、彼を19世紀末の文脈に正しく置きなおすことでしかなされえないと思う。その意味で訳者のひとりである村澤氏の「あとかぎに代えて」は、タルドにとっての社会の単位が個人ではなく脳だいう、興味深い指摘(しかしこれはさらなる論証が必要な点だろう)を含むとはいえ、同意しかねるものがある。例えば以下のような一節、

社会状態とは、催眠状態と同じく、夢の一形式にすぎない。[中略]暗示された観念を持っているだけなのに、それを自発的な観念と信じることは催眠状態にある人(somnambule)の錯覚であるとともに、まさに社会的人間の錯覚である。(126頁)

これはタルドが動物磁気説や夢遊症(somnambulisme)の跋扈する19世紀の文脈にどっぷり浸かっていたことを語る一節である以外の何ものでもないのに、なぜそれが「最近のSF映画『マトリックス』」の世界に比されて、「インターネットが普及した現代になってようやく理解しやすいものとなった」と言われるのかが理解できない。


デュルケム学派に抑圧されてきたタルド、という図式は、それ自体あまり建設的なものとは思えないし、そもそもフランスでは30年前から繰り返されてきたクリッシェであることは、ロラン・ミュキエリ(Laurent Mucchielli)の指摘するとおりである。タルド・ブームを批判的に検討したミュキエリの重要な論文は、もうひとりの訳者である池田氏による解説の文献リストにも挙がっているのに。なおこの論文(Tardomania ? Réflexions sur les usages contemporains de Tarde)を含むRevue d'histoire des sciences humainesのタルド特集号(2000年第3号)は、以下で読むことができる(無料)。
http://www.cairn.info/sommaire.php?ID_REVUE=RHSH&ID_NUMPUBLIE=RHSH_003