Patrice FlichyのUne histoire de la communication moderneに
邦訳があったとは、恥ずかしながら知らなかった。


けれどもその翻訳は、残念ながらあまり質の良いものとは言えないようだ。
ビシャ(Bichat)が「ビシャット」(62頁)になっていたり、
シヴェルブシュ(Schivelbusch)が「シベルバッハ」(60頁)になっていたり
するのも驚きであるのだが…


以下のような個所は、原書を確認するまでもなく、一読しておかしい。


「結局、1917年のロシア革命時に、イタリア、ドイツ、ロシアでメートル法
採用されるにとどまった(フランスでグレゴリー暦を採用しようとしていた
時期だ)」(40頁)。


フランスでグレゴリオ暦が採用されたのが1917年頃だなんて…。ではそれまで
どんな暦を使っていたというのだろうか。革命暦が使い続けられていたとでも
いうのだろうか。メートル法がイタリアやドイツでもロシア革命時に
採用されたというのも奇妙な話である。原文を見ると、グレゴリオ暦に関しては、
ここではロシアを指している"ce pays"が、なぜかわざわざフランスのことにされて
しまっている。メートル法も、1917年に採用というのはロシアだけの話である。
(ちなみにイタリアやドイツでは19世紀に国家統一の流れに沿ってメートル法が採用されて
いったのは、ケン・オールダー『万物の尺度を求めて』に説明されている通り。)

メディアの近代史―公共空間と私生活のゆらぎのなかで

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