kazumichi_h2007-08-04

Jacques Gelis, Les enfants des limbes. Mort-nes et parents dans l'Europe chretienne, Paris, Audibert, 2006.
http://www.amazon.fr/enfants-limbes-Mort-n%C3%A9s-parents-chr%C3%A9tienne/dp/284749068X/ref=sr_1_1/


かつてキリスト教世界において、死産がいかに恐れられていたか。生まれた時点ですでに死んでいる子供には、洗礼を授けることが許されなかった。そして洗礼を受けていない亡骸は、教会の墓地に埋葬されることは禁じられていた。だから死んで生まれてきた子供の亡骸は、「動物のように」庭先などに埋められることとなり、そのような子供は"Limbes"という生と死の間の冥府を、永遠にさまようことになるだろう。両親にとってこれは耐えがたい屈辱であり、悲劇だった。
こうした背景から、Sanctuaire au repitと呼ばれる、一種の秘境的な聖堂が栄えることになる。多くの場合聖母マリアをまつったこの聖堂には、すでに息をしていない子供が持ち込まれ、時には何日間も祈りが捧げられた結果、ある種の奇跡により子供には「生の兆候」が蘇り、無事に洗礼が行われる。重要なのは子供が生き返ることよりも、洗礼を行うことであり、洗礼が終われば「生の兆候」は再び消え去り、子供は安らかな「二度目の死」を迎えることだろう。


いわゆる「水子供養」の西洋版といったところだが、洗礼という制度が西洋の「人間化」においていかに重要な役割を果たしていたのか(洗礼を受けていない人間は人間ですらない)を示していて興味深い。


水子供養」の歴史にも興味がわいたので少し調べたら、こういう本を見つけた。

水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流

水子―“中絶”をめぐる日本文化の底流