日本で指紋法が1908(明治41)年に導入される直前には、ベルティヨン法と指紋法のどちらを採用すべきかという議論がなされていたようだが、ベルティヨン法自体の日本への紹介の歴史は、まだよくわかっていない。1900(明治33)年には岡田朝太郎が『警察協会雑誌』で「「ベルチヨン」氏式人身測定法」についての連載をしているが、実はそれよりもはるかに前の1888(明治21)年には、加地ショウ太郎(ショウは金偏に小)なる人物が、『大日本監獄協会雑誌』において、「囚人骨格測定法」の紹介をしている。ベルティヨンの"Instructions Signaletiques"(1885年初版、1893年第二版)の英訳(1896)すらまだ出ていない時代だから、相当早い紹介である。


加地は同じ『監獄協会雑誌』で、1894(明治27)年に、やはり「囚人骨格測度法」と題する連載をしているが、これはフランスでベルティヨンの書の第二版が出たのに合わせて、その一部を翻訳掲載したものである。連載は九回にわたっており、相当詳しい内容紹介になっている。


この加地という人物、「然るに同氏(=ベルティヨン)は昨年又該法に関する新著を出版したりとて、余の許迄、遥々其の一本を贈られぬ」と記しているくらいだから、ベルティヨンと直接交流のあった人物らしいのだが、詳しいことはまったくわからない。


だが先日東大の「近代日本法政史料センター」で、1896(明治29)年の雑誌『警察眼』(4巻5号)を見ていたら、「加地ショウ太郎君の露国行を送る」という記事を発見。


「遣露特命全権大使山縣有朋」に随行してのロシア行きだったらしい。加地については「我が社の特別社友」となっていて、語学に長けていることなどが礼賛されている。


それにしてもこの『警察眼』、副題が「不眠不休」とあり、すごいタイトルである。以前ここにも紹介したフランスの『L'oeil de la Police』のまさしく日本語版。日本のものは警察官向けの雑誌で、だいぶ性格は違うけど。


日本の警察の父とされる川路利良の語録が『警察手眼』と題されて警察官らに愛読されていたので、それを受けてのものなのだろうが、「手」だけが抜けてしまったのも、それはそれで面白い。


『警察手眼』についてはいろいろと解説書が出ている。

注解 警察手眼

注解 警察手眼

「警察手眼」に親しむ

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