日本のメディアでも話題になった、仏『ルモンド』紙の、「広島の写真」をめぐる騒動。
5月10日付に「広島。世界がこれまで見たことのなかったもの」のタイトルで、10枚の写真とともに、それらが広島の原爆投下の翌日に撮影されたものであるとの記事が出たあと、13日付には「非常に疑わしい広島の写真」とのタイトルで、10枚のうち少なくとも6枚は、関東大震災の際に撮られたものであるとの見解が出される。

(10枚の写真はまだ『ルモンド』上で見られるようになっている。)
http://www.lemonde.fr/web/portfolio/0,12-0,31-1042879,0.html


アウシュヴィッツの写真をめぐる『イメージ、それでもなお』の議論を連想してしまうが、あそこで議論になっていた4枚の写真は、新発見されたものではなく、すでに知られていた写真に「新たな」まなざしを向けようではないか、というのがディディ=ユベルマンの主張の主旨だったことを確認しておこう。


さて今回の騒動では17日付のヴェロニク・マウルス(Véronique Maurus)による記事で、全体のいきさつが反省的に総括されている。これを読むと結果として裏付け作業がお粗末だったことを認めざるを得ない。(それを明らかにしているのは評価できる点だが。)

(近々有料記事になると思いますが、マウルスの記事はこちら↓)
http://www.lemonde.fr/archives/article/2008/05/17/le-piege-des-photos-par-veronique-maurus_1046298_0.html


もともとこの写真のうち3枚を「広島の写真」としたのは、Sean L. Malloyという歴史家が今年刊行した Atomic Tragedy: Henry L. Stimson and the Decision to Use the Bomb Against Japanという著作で、Malloyはこれらの写真をスタンフォード大学のフーヴァー研究所(Hoover Institution)のアーカイヴから発見したそうなのだが、『ルモンド』はMalloyおよびフーヴァー研究所の見解だけで写真の発表を決めたようで、広島平和記念資料館をはじめとする日本の専門機関には「時差の関係で」問い合わせることができなかったという。


Malloyによる問題の著作↓

Atomic Tragedy: Henry L. Stimson and the Decision to Use the Bomb Against Japan

Atomic Tragedy: Henry L. Stimson and the Decision to Use the Bomb Against Japan

なおフーヴァー研究所がネオコンの牙城であるらしい点も、興味をそそられるところ。


さてこれらの写真が関東大震災の写真であるのは確からしいとして、それらがすでに知られていたものなのか、それとも未発見のものだったのかが、まったく論じられていないのは気にかかるところだ。写されている死者たちが、原爆の死者たちだったら「貴重な」死者であるのに、地震の死者であれば、ありふれた死者たちだというのだろうか。ホロコーストに関しては、ユダヤ人犠牲者ばかり特権化すると「死者を序列化するな」という議論が沸き起こるのに。