マーク・トウェインの『ミシシッピの生活』(1883)のなかの1挿話である、「親指の指紋とその成行き」は、指紋を扱った小説作品のもっとも早いもののひとつであると言われる。
邦訳の注によると、この挿話はもともと1879年刊の『風来坊旅行記』(『ヨーロッパ放浪記』)に収録される予定だったとあるのだが、ヘンリー・フォールズとウィリアム・ハーシェルによる指紋についての投稿が『ネイチャー』に掲載されるのは1880年のことであり、トウェインが1879年に指紋のエピソードを書いていたとすれば、あまりにも早すぎるという印象を受ける。

何か手掛かりはないかと思い、『マーク・トウェイン 研究と批評』にあたってみると、思いのほか多くの指紋関連記事に遭遇して驚いた。
まず2003年の第2号「マーク・トウェインと探偵小説」特集に、以下の二つ。
平石貴樹「指紋は何を語るのか」
小池滋「指紋のミステリーさまざま」

http://www.bk1.jp/webap/user/DtlBibCollectionList.do?bibId=2319990

さらに2007年の第6号「日本のハック・フィン」には以下の論考。
福井崇史「「指紋」から「血」へ」

http://www.bk1.jp/webap/user/DtlBibCollectionList.do?bibId=2787990


いずれも興味深い論考であったが、トウェインの指紋の知識のネタ元については、『ミシシッピの生活』が1883年刊であるという事実を前提に、『ネイチャー』を直接見たのだ等々の諸説が紹介されている(平石論文)ものの、トウェインが1879年にすでに指紋のエピソードを書いていたのかどうかについては手がかりが得られなかった。
各氏が参照する以下の本などを見れば何か得られるものがあるだろうか。

Dark Twins: Imposture and Identity in Mark Twain's America

Dark Twins: Imposture and Identity in Mark Twain's America