デジタルが写真イメージを変質させうるとしたら、それはデジタルによってイメージの改変が容易になるからではなく、むしろデジタルはそういった改変を不可能にしうる技術でもあるからではないだろうか。


DVDやブルーレイ・ディスクの「コピーガード」機能のように、デジタル技術というのは複製や改変を困難にする方向に進化していくものである。(ガードをくぐりぬける技術もまた進化するので、いたちごっこが続くのはもちろんだが。)デジタル写真についても、それが修整や複製を容易にする技術であるとだけ考えるのは、一面的にすぎるだろう。


実際、「フォトショップ」のアドビ社は、写真が修整されたものであるのかどうかを検知するソフトを開発中だというし、最近になってニコンGPS内蔵のデジカメを売り出したとも聞く。


いつどこで撮られたのかがGPSによって記録され、修整されたものでもないことがデジタル技術によって証明されるようになったとしたら、それこそが写真のイメージにとっての根本的に新たな事態なのだとは言えないだろうか。写真はこれまでも、「かつて・あった」ものを物理的に「指し示す」とされてきたが、写真が表象するとされるそのような「真実」は、デジタルで証明されるような「真実」と、はたして同じものだったのか、あるいはまったく別のものなのか?