昭和26年(1951年)二月の、築地・八宝亭殺人事件では、第一発見者の山口青年の証言をもとに、モンタージュ写真が作成された。

「…数枚の似ている顔を選ばせ、これをもとに証言と組み合わせて、鑑識課でモンタージュ写真を作成した。大田成子を見たという店の客が『似ている』という顔と山口青年の証言も一致し、二十七日には管下全署に手配した」(近藤昭二『捜査一課 謎の殺人事件簿』二見文庫、1997年、100頁)。

捜査一課謎の殺人事件簿 (二見WAi WAi文庫)

捜査一課謎の殺人事件簿 (二見WAi WAi文庫)


フランスで「ロボット・ポートレート」が初めて用いられるのが1953年だから、実は日本ではそれに先立ってモンタージュ写真が用いられていたことになる。以下の書物によれば、最初に用いられたのは帝銀事件(1948年)の捜査に際してであるという。モンタージュ写真は欧米の流れとは独立して日本で独自の展開を見せていたということか。両事件で作成されたモンタージュの実物が見たいところだが、残念ながらどちらの書物にも掲載されていない。


遠藤徳貞『鑑識捜査』鏡浦書房、昭和33年。


なお八宝亭事件では、自らの潔白を訴える手記を新聞に発表したりして、時の人となっていた山口青年自身が、実は犯人であったことが後に判明するので、彼の証言に基づくモンタージュ写真は、当然ながら捜査の決め手とはなりえないものだったことになる。