相変わらずガリカでフランスの新聞『Le temps』をつらつらと眺めていると、1879年12月15日に、パリ大学医学部である女性が博論を提出したという記事が出ていた。博論の提出ぐらいで新聞記事になるのか、と思ったが、女性ということで珍しかったのであろう。しかももともとエジンバラ大学で勉強していたが、当地で女性の進学が認められなかったためにパリに来たということで、「自由、平等、博愛」のフランスの面目躍起ということらしい。その女性の博論タイトルが、『日本人の一般的体格と成長について』だったから、ちょっと驚いた。


女性の名前は、Chaplin-Ayrton夫人。夫のエアトン氏は電気工学の専門家で、お雇い外国人として日本で教鞭をとっていたらしい。以下のサイトに詳しかったので少し引用させていただく。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/03/31300.html

イギリス人エアトン(W.E. Ayrton)は明治政府の招聘により、明治6(1873)年から11年まで工部省工学寮電信科(現工学部電気工学・電子情報工学・電子工学三学科の前身)で教鞭を執り、わが国電気工学の基礎を築いた。

エアトン夫人(M.C. Ayrton)もまた秀でた学者で、ロンドン女子医学校で2年間学び助産婦の免許をとり、パリ大学では理学士号、文学士号を取得している。滞在中の研究に基づき、「日本人の体格と身体の形成」なる論文でパリ大学より医学博士の学位を授与されている。また、1879年にCHILD-LIFE IN JAPAN JAPANESE CHILD-STORIESを著している。