川路利良が主人公ということで司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読みはじめたところ、パリを訪問した川路ら一行の模様をつづった一巻の最初に、「宿の主婦のいうところでは今朝セーヌ河が凍った、フランス中がことごとくさむいのであって当家としては決して燃料を惜しんでいるわけではない……」(文春文庫、30頁)という記述が出てきた。


これは1872年の川路の一回目の渡欧の描写だから、以前ここに書いた1879年のパリの大寒波よりも前のことだが、"La Nature"の記事によればこの冬もマイナス21.3度を記録しているようだから、相当寒かったのは確かなようだ。


そして考えてみれば川路の二回目の渡欧は1879年だから、ちょうど大寒波の年なのである。一行は3月末にマルセイユに到着、川路は病状が悪化して8月に帰国の途についているが、残りの一行はそのまま翌年まで欧米訪問を続けているので、冬場はどこに行っていたのかと思えば、なんとロシア。


佐和正『航西日乗』を見てみると、一行は11月にサンクトペテルブルグ入りし、例えば11月27日には「尼瓦河畔ヲ過ク河水氷チ結ヒ氷上人アリ」とあった。「尼瓦河」というのはサンクトペテルブルグを流れるネヴァ河のことか。