別の用事で行った図書館で、指紋関係のことで知らなかったことを学ぶ。
ヘンリー・フォールズが日本の大森貝塚の土器に残された指の跡から
指紋の研究を始めたという話は有名なエピソードである。
しかし大森貝塚の発見者エドワード・モースとどのような接点があったのかは
知らなかったので、モース研究を少しばかりかじってみた。
するとフォールズは、モースが日本で初めて講じた進化論の、
日本における宗教者側の批判者(フォールズはプロテスタントの宣教師でもあった)の
急先鋒だったというではないか。
これはモース研究では有名な話のようで、以下の磯野直秀氏の著作では、
フォールズはモースとの論争の際に土器にも興味を引くようになったのだろう
と述べられている。


なかなか入り組んだ話である。
というのもフォールズは自分の指紋研究を、まずはダーウィンに手紙で
送っていたのである。
進化論の批判の急先鋒とされる人間が、進化論の始祖に自分の研究の
指南を仰ぐというのは、いったいどういうことなのか。
ダーウィンはその手紙を、自分は老齢だからもうまともに返答できないと
言って、従兄のゴルトンに転送するのだが、ゴルトンはそれを無視。
結局ゴルトンは後にフォールズではなくハーシェルを指紋研究の第一人者と
「認定」することになるのだが、これもフォールズの進化論糾弾者という
過去の身から出た錆だったのかもしれない。


他方のモースも、アメリカではルイ・アガシに師事していたのだが、
アガシダーウィンの論敵として有名な、これまた進化論批判者であり、
アガシとモースの関係がどういうものだったのかは詳しくは知らないが、
アガシの弟子が日本で進化論を説くというのも、やはり一筋縄では
いかない話である。

共同研究 モースと日本

共同研究 モースと日本

モースその日その日―ある御雇教師と近代日本

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